第2回モンゴル・ウランバートル国際マラソン

[前置き(近況)編]
一年間やってきた仕事も終わりを迎え、無事出荷に漕ぎ着けた。
就職して初めての自分の製品。自分の製品を持つのは、5年以内に実現させたかった夢、目標だったので、昨年に事業部に異動が決まってからは、この仕事には特に思い入れ、立ちはだかる課題や、困難に主体的に取り組むよう心がけてきた。そしてよく実践できた方だと思う。
生産間近には、何かとトラブルが多く、難産のわりに、品質が悪いと周りの評判はすこぶる悪い。
自分の初の子供を可愛く思う親心が解ってしまう位の自分ありきの製品だ(と思っている)。
なので、この製品を可愛く思う気持ちと達成感は半端なく、誰になんと言われようと、初めての子としてとても誇りに思っている。しかし、少し品質が悪いのは確かなので、今後のしつけ(バージョンアップ)でカバーしたい。

さて、そんな一年を締めくくる、休暇旅行兼、集大成マラソンとして密かに計画していたモンゴル・ウランバートル国際マラソンから先日帰ってきた。
今日は、その感想や、今の思いをこのブログに書きなぐりたいと思う。

とっても長いので、お時間がある人だけ、読んで貰えると嬉しいです。時間無い人は、マラソン中にiPod nanoにて撮影したモンゴルの大草原風景(ブレブレ)だけでもご覧ください。

[マラソン完走(感想)編]
7:20にスタート。まずは市街地を駆け抜けて、大草原へと突っ走る。
前半は、モンゴルの気候と自分の体調の様子を見るため、普段よりゆっくり目のペースで走った。
朝の方は、気温も12,3度で調度良い。空気は乾燥して日本の秋口のようで申し分なかった。そのお陰か、前半は何の問題もなく順風満帆に過ぎ去った。折り返し地点を過ぎたころ、時刻は午前10時過ぎ。アジカンの青空と黒猫を聞きながら、走るモンゴルの大草原。マラソンコースにも徐々に車が通り始める。珍しいのか、対向車を通り過ぎる車から手を振って応援してくれる人がたくさんいた。自分とすれ違うランナー達とも、拍手や挨拶で互いを励まし合い、話に聞いていたほど孤独ではなかった。
日本で開催された鳥取ラソンで覚えた日本式挨拶(帽子のつばをなぞるもの)と笑顔で、約20〜30人くらいの人と挨拶を交わした。マラソンを通して、世界中の人々と交わす挨拶。一瞬ながらも程良く密で心持ち良い絶妙なコミニケーション。国内マラソンでは味わえない、国際マラソンならではの体験。今後も語り告げられるような素敵な思い出になると確信した。
この頃の、約22〜24km地点が自分の気分が最もハイな時間帯で、一番気持ち良く走れていた。繰り返し聞いていた「青空と黒猫(アジカン)」と、モンゴルの青空と大草原と、自分の気持ちとが、とても良く調和していた。永遠につづく青空と道、そして応援してくれた人々の姿は、青空と黒猫という音楽でタグ付けされて、今後決して忘れることのない良い記憶として残るだろ。それだけでも、十分収穫のあるイベントだ。

もちろん、このまま何事もなく終わるほど僕はできが良くない。
市街地に近づき、おそらく残り10kmくらいの所で道に迷った。
一本道を行って帰ってくるだけの単純な道で迷ったのはなんとも自分らしい。
発端は、ある分岐点で違う道を選択したことだ。

僕はゴールに近づき、スタート地点の市街地に近づいていた。
時間は11:00過ぎ。8時頃に通っていたであろう場所に戻ってきていた。
車の交通量は朝とは桁違いに多い。最後に走ったマラソンが4月で、練習も不足しているためか、いつもよりペースが遅い。先にも述べた通り、同じ道を往復するだけの単純なコースなので、帰り道は、行きとは反対の車線を走っていた。問題の分岐点では、帰り道を走る自分とは反対の車線側から進行方向からやや左よりに伸びている道と、今自分が走っている道路とでVサインを描いていた。
往路では、確か自分はあの反対側の道を走ってきたのだ。自分は他の参加者より遅く、今はここを交通整備する係の者がいなくなったのだ。そう見極めた僕は、あっち側へ行かなければいけないと思った。そして、わざわざ車道を横断して、なんの疑いもなく向こう側の道へと吸い込まれた。その先の道は舗装されていなかった。沿道と車道の区別のない土道に、大量の車が入り乱れ、両サイドには見るからにやばそうな外見の男どもが、仕事中にも関わらず職場の休憩所に設けられた手製のダーツで遊んでいる。とても荒れ狂ったご様子だ。そして、僕の胸に張られたゼッケンを見て何やら笑っていた。
「あいつ道に迷ってんじゃないか??」と言っているに違いない。
この、荒れ果てた場所を走って、初めて自分が道を間違えたことに気が付いた。遠くの方にはゴール近くにあった目印のビルが見える。
どうやら、おおまかな方向は間違ってはなさそうだ。ここまで来たのだから、引き返さない方が良い。そう考え、僕はそのまま押し進んでいった。
不運にも愛用のペース測定器(Nike Plus)は、前日行ったスポーツジムにて無くしていた。ただでさえ残りの距離を示す標識が少ないのに、迷ったお陰で、自分がどれほど走っているのか全く解らなくなっていた。道しるべとなっていた目的地近くのビルもそういえば今は見えない。
何となくの方向感覚で走っている状態。はたして、本当に自分はゴールできるのだろうか。iPodにて時間を見ると、もう制限時間まで20分もない。前夜際で知り合った日本のベテランランナーに、自分の完走予想タイムを伝えていた。予想タイムを既に20分も過ぎている。ゴール前で恥をかく自分を想像してしまい、余計に気が滅入った。そんなまっ暗闇の危機的状況に、さすがに絶望して僕はとうとう歩いてしまった。
それから、時だけがいたずらに過ぎ、制限時間まであと5分というのに未だビルが見えない。疲労感も限界で、既にフルマラソンの距離プラス5kmは余分に走っていそうな感覚。間もなくもう諦めようと沿道にある岩に腰をおろしてしまった。
ラソンで、ここまで心が折れたのはこれがは初めて。
それから間も無く、制限時間の12:00を超え、僕の連続完走記録もここまでだと落胆した。

腰を下ろしてから約10分程が経過したころだろうか。某バスケ漫画の学校教師が発した、有名な言葉が脳内に浮上した。今の仕事でも挫けそうになったとき、おまじないのように、唱えてきた言葉だった。この状況で、すぐにこの言葉が出る自分の成長ぶりには関心した(爆)。
ゴール地点に誰もいなくてもいい。笑い話になったっていい。どんなルートでもゴールにたどり着けたら、それを自分自身のゴールとしよう。そう気持ちの軌道修正を行い、僕は再び走り始めた。道を誤ってからの自分の方向感覚はあながち間違ってなかった。その証拠に再走してから約5分ほどで、ゴール近くのビルが真横に見えた。その時、やっと光がさしたのを実感した。

ゴール地点のスフバートル広場前の公道を抜けて、広場へと入るのが本来のルート。そのルートと直行するルートとの交差点に誘導員が立っていた。ということは、本大会はまだ終わっていそうにない。なんだかとてもほっとした。しかし、その本来のルートと直行するルートから出現した僕を見て、とっても驚いた様子の誘導員の顔は、とても印象的で今後忘れられそうにない。もうゴールは目の前。広場にいる観客の拍手や声援が聞こえる。ゴールと同時に、参加章のメダルが首にかけられた。制限時間が過ぎているのに、ゴールとして認められたこと、そして何よりも、自分の期待以上の結果(まだ大会が開催されていたこと)がとてもうれしかった。
体力的に限界の僕はすぐさま座り込む。すると、なんやらモンゴル人が話しかけてきた。それに答える余裕はない。というか、何言ってるか解らない。たまらず、「I can't speak」と答える。過大解釈すると、北島康介の「なんもいえない」だ。本大会も無事終了。
[記録]
完走。
タイム:測定不能(5時間越え)
*実際は5時間20分くらいかな(笑)←前回のフルマラソンより1時間くらい遅い。


[まとめ編]
自分のこれまでの人生を振り返ると、なにごともすんなりゴールすることはなく、予定と違ったり、ハプニングが起きたり、自分の取り越し苦労で回り道したりと、まるでこのマラソンはそのミニチュア(誰しもそんなもんか)。手段やルートが予定や理想と違っても、なんだかんだで目標達成できたことは、素直に自分を褒めてあげたいと心底思う。そして、そんな今の自分を形作ってくれた周囲の人々(友や家族や職場の人や先生)に心から感謝したいと思った。あとは、今後、できるだけ自分の理想や、計画の通りに事が進むよう精進するのみ。
ラソンは自分の性に合ってると再認識できた良い大会だった。かつ過去最高の旅行で、過去最高のマラソン大会。そして人生最大の良い出来事であったかのように思う。
次はこれを超えられるようまた、何かにチャレンジしたい。というか、絶対に超えるぜ!!