崖の上のポニョ(金曜ロードショー) 〜自然と人間、双方の歩み寄り 未来は子供達に乞うご期待〜

本日は、金曜ロードショーより、崖の上のポニョを見た。
これまでの、ポニョとの接点としては劇場鑑賞1回、レンタル鑑賞1回、
ポニョはこうして生まれた購入・鑑賞(全12時間)と、コンタクト回数は多い。
が、しかし、いまいち本質をつかみきれていなかった。

本日の3回目にあたる鑑賞で、やっとつかめたポニョの本質は、サブタイトルに示した通り、
「自然と人間、双方の歩み寄り」そして「未来は子供達に乞うご期待」なのだと個人的に思う。
ポニョのお父さんであるフジモトは元人間で、人間を辞めて生命の母体である海の復活を目標に研究を続けている。
ポニョのお母さんは母体である海そのもの(グランマンマーレ)で、その子供にあたるのがポニョである。ポニョが生まれた背景に、人間が地球のリソースを消費し過ぎたことに気づき呆れて、自然を回復させる方向へと回帰していった90年代後半(京都議定書策定)の経緯があるのは明らかで、ポニョという存在は自然と人間が歩み寄った結果、御時勢で言うところのECOブームやCOP21などの、地球規模の自然保護活動のメタファであると言える。そして、フジモトという存在は、人間が自然へと歩み寄りはじめた一昔まえの世代のメタファであり、グランマンマーレは人間のこれまでの愚行さえを受け入れてくれるのが、海(生命の母)なのではないかといった、人間(というより男性の幻想かな?)の希望的観測のメタファであると言える。

さて、本結論に至った経緯をお話するために、映画のストーリーにスポットを当てる。この映画のストーリの大枠は自然と人間の愛の子が、人間の男の子を好きになる(人間側に更に歩み寄みよる)といったところであろう。宮崎さんはポニョの制作発表で、子供達が生まれて初めて見る映画として、本作を制作したと仰っておられることからも、今後、人々が行う自然保護活動に対して、自然(地球)は人間を愛して歩み寄り、お互いが支えあうことで、更なる実を結ぶのではないか。いや、結んでもらわないと困る!!というぐらいの期待と希望の下、制作されたものなのだ。実際、物語の中盤、グランマンマーレはポニョを人間にすれば良いとすら言い出す始末(子供の代まで歩み寄らせる覚悟があるのだ)で、話し合いの下、マンマーレとフジモトがポニョと宗助を試すことにする。それが、映画の後半のポニョと宗助の旅なのだ。この試みに、フジモト(自然志向だが人間より)は否定的で、双方が歩み寄って本当にうまくいくのであろうか??という不安感を拭い去れないでいる(これは人間側の不安感を表現しているのではないかと思う)が、マンマーレ(自然側)は一切の不安を見せず、人間の不安も愚行も、なにもかもを包み込むような姿勢なのだ(これは人間の希望的観測を表現しているのではないかと思う)。物語後半の、二人の旅のシーンを紐解いてみると、旅の途中、ポニョは人間の赤ちゃんに自分の食べ物を分けてあげている。これは、自然の恵みが人間を生かすということを象徴しているシーンなのではないかと私は思う。一方の、宗助(人間側)はというと、ボートの動力であるロウソクがぬれて使えなくなった場面において、ポニョの火の力を頼ろうとするのだが、その瞬間、ポニョは突然眠ってしまう。自然だって眠って力を充電する時間が必要なのだと言わんばかりのシーンで、当然、船が動かなくなってしまう。そこで、宗助は、泳いで船を動かして、ポニョの回復を待つ。こうして、二人の旅は順調に進んでいくのだが、映画のクライマックスでは、遂に危機がやってくる。それは、ポニョと宗助が手をつなぎ真っ暗なトンネルを渡るシーン(トンネルの先は暗がりで、光の保障ができない未来を暗示しているかのよう)において、渡っている最中にポニョが、自然本来の姿に戻りかけるというものだ。宗助は、ポニョ(自然)の異常に慌てて、とにかくトンネルを突っ走り抜ける。トンネルの先には、トキさんと、フジモトがいた。フジモトは、二人を誘導し、一押しして手助けしようとするが、トキさん(旧世代)には、フジモト(現世代)が敵にみえて、宗助を自分の方へ誘導する(一見邪魔をしているようにも見えるがところが・・・ミソ)。フジモトは、トキさんのその行動に肝を冷やすが、宗助はトキさん方へと向かい、最後は胸に飛び込むのだ。そうして、宗助はポニョの眠りを守り抜き、深い海の底にたどり着く。そこでは、歩けなかったはずのおばあちゃん達が、走り回っていて、まさに、あの世とこの世の中間に位置する世界があった(将来過ぎ去るであろう世界、つまりは現在)。そこが、ポニョと宗助の旅(試練)のゴールであり、スタートでもあるのだ。その海の底で、グランマンマーレ、フジモト、リサ、宗助、ポニョの5名(宗助のお父さんは仕事で出席すらできない御時勢を象徴)の立会いの下、無事に、自然家と、人間家、ご両家の間で結納が結ばれ、映画の本当の本当に最後のシーンでは、二人のキス(チャペルでの結婚の儀)が描かれて幕を閉じる。

正直、初見では、なんやらようわからん(宮崎さんの発想が高度すぎて、消化しきれない)映画であったが、その実態は、自然界と人間界、相反するご両家双方が、歩み寄りはじめつつある近代、今後の行方も若いお二人にお任せします!!という、これまで人間と自然が共通して繰り返してきた慣わしを、宮崎さんなりに表現した最後(と言いたくないが・・・)を飾るにふさわしい、かなりの秀作であったのだ。やっとスッキリできた。

結論として、この映画は、人間と自然双方が今よりもっと歩み寄って、仲良く共存して行ってくださいね!!という、トキさんであり、フジモトであり、グランマンマーレであり、リサであり、宗助のお父さんでありの、皆の気持ちを未来に託した地球と人間のバトンなのである。ということで締めくくりたい。

    • 最後に --

ジブリの新作、「借り暮らしのアリエッティ」の監督は、グランマンマーレが海を駆け巡るシーンを作画した人(通称:マロ)で、その出来の良さを、宮崎さんや鈴木プロデューサが評価して監督に任命した経緯があると言う。仕事においても、宮崎さんはバトンを渡し、ジブリの今後を新しい監督に任せられたのだ。そういった背景からも、新作「借り暮らしのアリエッティ」、強いては新世代の監督、アニメータに乞うご期待っ!!できるのではないかと私は思う。スタジオジブリの皆さんっ!!私もまだ若造(アラサー)です。年配の皆さんよりバトンを渡されつつある世代です。私の職場の先輩方は、継承に全力をつくしておられます。私は、そのバトンをしっかりと受け取り、次世代へバトンがきちんと渡せるよう、全力をつくしていこうと決意致しましたっ!!すばらしい映画をどうもありがとうございます。